本場讃岐かなくま餅福田

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かなくま餅福田の謂れ






かなくまとは鹿隈と書き、古くからの地名です。
中世までは"鹿熊"とも書かれ、背後の七宝山系で鹿や熊、猿、猪にも出くわしたことが由来だったかも知れません。七宝山系は狭い讃岐平野でも広い山脈を形成していますが、弘法大師が七つの法宝を埋めた山ということで名付けられています。雑木林が豊かで果樹も多く、水源もあり、動植物には住みやすい山だったのでしょう。
今の"鹿隈"に書き改められたのは、明治以降国土地理院の地図づくりの時に名付けられたようです。祖母の時代へ思いを馳せてこんな片田舎にもエピソードがあるのは感慨深いものがあります。
かなくまは観音寺から詫間・多度津・丸亀を結ぶ生活街道と 四国霊場巡拝の要所でもありました。
"かなくま”は、観音寺から高瀬ー詫間ー多度津ー丸亀を結ぶ街道と四国霊場巡拝の休憩地点でした。藩領丸亀として明治を迎えましたが、その昔、大きな川である財田川は防衛上、限られたところにしか橋を架けませんでしたので、弊店の前も実は橋が大正末期にようやくかかるなど、あくまで渡し船の時代が長かったのです。
昭和初期の橋は木製で、時代劇に出てくる風情のある趣きだったようで、この川の橋ごしに見えた弊店も何やら浮世絵に出てくる景色そのものだったように思います。
江戸後期から盛んになった金比羅参りや八十八ヵ所巡りには、随分不自由なことだったかも知れません。
松の木
そんなかなくまの橋と山の麓で 祖母が餅・うどん・酒等を商う茶店を始めました。
茶屋
七宝山系の麓は肥沃な農地であり、果樹にも恵まれていました。海にも近く、海産物・農産物の流通における街道において、ちょうど休憩に適した場所としてこの"かなくま"はありました。
祖母の代に、数件が今の弊店の向かい、川沿いに茶店を開いて、往来の人へ餅・うどん・酒・にぎりなどを商い始めました。特に餅が目玉だったのは、それだけ重労働の人が多く、力がつき腹もちのよい餅が何よりだったのでしょう。
昭和から比較的近年では、夏のかき氷・ところてん・冬のうどんなど、手軽なものでも季節や情緒のあることで喜ばれてきました。
いつしか道も拡張されることで、弊店も麓側へ移転、他のお店はこの地を離れました。弊店は"かなくま"にこだわることが七宝山の由来に即したことだと思い、今日に至っています。
時の流れの長さと豊かさが宝物に。
七宝山系といわれていますが宝探しなど一度も起きていません。豊かな七宝山系もいつしか鹿も熊も猪もいなくなり、野生の楽土ではなくなりました。しかし七宝山系の宝とは、この地で与えられた条件の中、精一杯生きることで私たちが得られることの何らかが宝なのだと思っています。
弊店のうどん・餅・おにぎりなどを美味しいと訪ねてくださる多くのお客様との出会い、それこそ日々の宝なのですから。財田川は元々たからだ(=旧財田町)の里から有明の海(観音寺市の沖)へと流れる香川県を代表する川の一つです。たからだの川と七宝の宝、なんともありがたい私たちのふる里です。
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